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kishaisan

Author:kishaisan
小学校時代から線路端でSL写真を撮っておりました。
C62が特に大好きです。近頃はこのFC2のブロガーさん方のお陰で「風景に溶け込むSL写真」を勉強させていただいてます。

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汽車遺産
蒸気機関車をメインに撮影しております。
明日で締め切り!
宗谷本線塩狩駅存続求める要望」署名活動
明日で締め切りとされております。

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"塩狩駅が賑わいでいた頃"

※塩狩ヒュッテさんから了承を得て 少しの間リンク貼らせていただいてます
  ご賛同していただける方いらっしゃいましたら、 よろしくお願いいたします。
 一部 「MintJam 徒然草」様の文章も了解のもと引用させて頂いております。

   塩狩ヒュッテ ユースホステルの署名についての記事は→ 
"こちら"
   または以下の記事をご覧ください。締切迫る!




皆さんのブログにも「この記事を是非貼って」頂き
北海道が大好きな方々に広げていってください。
是非ご協力宜しくお願いいたします。


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鉄道員は何処へ?
路線を守り、駅をも守る!
 当然のことながら民営化になったJRとしてはギリギリまで
地元と協議した上で惜しくも廃駅、廃線の道を辿っていると
信じたいのですが、余りにも経営が厳しすぎるJR北海道に
とっては早く切り捨てるだけ切り捨てたいのだろうか?
 ということは北海道には鉄路が一切必要ないということで
しょうか??。民間になる前に函館本線の目名駅の交換設
備を廃止した筈が有珠山の噴火も有ることから函館本線を
見直し、 再度目名駅に交換設備を設置したときのように十
分に塩狩駅の廃駅(上下駅のサミットだけに)を考えて頂き
たいと思うのは私だけでしょうか?
 挙句の果てが北海道新幹線が現在の北斗駅より延伸後、
お決まりの経営分離後、第三セクターとしての存続か廃線
か?、二者択しか無く第三セクターに奇跡的になっても経営
が難しくなったらやはり廃線の道を辿るのでしょうか?

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"塩狩駅にて"
1973年(昭和48年1月4日)撮影


※塩狩ヒュッテさんから了承を得て 少しの間リンク貼らせていただいてます
  ご賛同していただける方いらっしゃいましたら、 よろしくお願いいたします。
 一部 「MintJam 徒然草」様の文章も了解のもと引用させて頂いております。

   塩狩ヒュッテ ユースホステルの署名についての記事は→ 
"こちら"
   または以下の記事をご覧ください。締切迫る!




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一大事!!
JR北海道管内
宗谷本線 「塩狩」 駅存続危ぶまれています!。

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"昭和時代の塩狩駅にて"

    蒸気機関車が現役だった頃「C55、D51をもとめて」この地で降りたり
  塩狩YHに宿泊されたりした方は多かったと思います。
   また小説 『塩狩峠』 は塩狩峠で発生した鉄道事故の実話をもとに、
  三浦綾子がクリスチャンだった関係もあり、 日本基督教団出版局の月刊
  雑誌にも掲載されてました。 (旭川の三浦綾子記念館を一昨年訪ねて)
  わかりました。 歴史ある「塩狩」駅の存続の署名活動を北海道から発信
  しています。 皆さんも駅の存続を求める要望の署名活動にお力を貸して
 下さい。
※塩狩ヒュッテさんから了承を得て 少しの間リンク貼らせていただいてます
  ご賛同していただける方いらっしゃいましたら、 よろしくお願いいたします。
 一部 「MintJam 徒然草」様の文章も了解のもと引用させて頂いております。

   塩狩ヒュッテ ユースホステルの署名についての記事は→ 
>こちら
   または以下の記事をご覧ください。




皆さんのブログにも「この記事を是非貼って」頂き
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是非ご協力宜しくお願いいたします。


やっぱり現役時代(その6)
             罐 の 人 生
 本州の主要幹線の電化などにより、 最後を北海道の大地を
走るしかなくなったこのマンモス機関車は名門鷹取工場により
取り付けられていた集煙装置を外され,渡道前に旋回窓も取り
付けられ最後の仕事場目指して津軽海峡を渡ってきました。
 まだ貨物輸送が内地に向かって沢山あった時代、北海道の
幹線である函館本線、室蘭本線の大動脈を長大編成の貨物を
牽引して疾走っておりました。
 翌年の昭和47年12月には余剰により廃車の道を辿りました。

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"大沼にて・D5256"
1971年(昭和46年7月)撮影


 相も変わらずこのワンパターンの拙いブログですが
「のんびり更新継続中」です。宜しくお願いいたします。


やっぱり現役時代(その5)
どきは逮捕?!。

  現在いくら北海道新幹線が出来て函館駅構内も閑散として
いるとしても、下の4枚の同時連続写真を見る限り 「線路内を
縦横無尽に歩いてでは無く、小走りに走りまくり, パチリパチリ
撮っていました!。
 今では鉄道営業法違反に問われ、書類送検をされることとな
る筈(^^;)。「実に危険極まりなし」といった感じです。
  今と違ってのんびりとした良き時代でした♪。


   <br
"急行ニセコ3号103レ"1971年(昭和46年7月)撮影
五稜郭操車場出区したC62 3は函館13:57到着、函館14:25発

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"連続撮影(2)"
背景には函館のシンボル「函館山」が
見えます。


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"連続撮影(3)" 背景には懐かしい「たくぎん」が見えます。
拓銀が潰れなければ復活C62 3はもう3年間は走っていた
かもしれません。


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"連続撮影(4)"出発時

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やっぱり現役時代(その4)
順番間違えちゃいました^^;。
  決して私の若かりし頃の写真を載せ忘れた訳では有りませんが、
現役時代の入出庫線には必ず 「給炭給水設備」 が設置されていま
した。 ここ五稜郭操車場には大きな機関区には負けないようなこの
ように大きなガントリークレーンが見られました。
 ガントリークレーンで給炭槽(ホッパー)に石炭を入れ、給炭槽から
C62 3のストーカー付きのテンダーへ給炭し、この日C62 3号機は
函館迄回送し、 「急行ニセコ3号103レ」の本務機となりました。

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"五稜郭操車場にて" 1971年(昭和46年7月)撮影

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やっぱり現役時代(その3)
どうしてもC62 3添乗させてもらいたくて!
 急行ていねが同じくニセコに変わってもこの馬鹿デカイC62のキャブに
乗せて貰いたくて何年間か?五稜郭に通ったようです。それは多分五稜
郭操車場が一番のんびりしていたからだと思います。
 東京の大森からどうしても乗せて貰いたく来ましたというと、では函館駅
迄だぞ!確か3回目の訪問だったと思いますがお許しが出ました♪。




"C62添乗・急行ニセコ3号103レ"1971年(昭和46年7月)撮影
五稜郭操車場出区13:32→函館13:57着 
「まさしく夢の25分間」でした。


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"C623は出区後いよいよ函館本線へ入る前はバック運転でした"
バカでかい機関車でしたが揺れは大きかったことを覚えています。
その上にキャブのなかは非常に暑かった(^^;)。


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"函館駅へ到着後機関助士さんに記念
写真を撮っていただきました"



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