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kishaisan

Author:kishaisan
小学校時代から線路端でSL写真を撮っておりました。
C62が特に大好きです。近頃はこのFC2のブロガーさん方のお陰で「風景に溶け込むSL写真」を勉強させていただいてます。

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汽車遺産
蒸気機関車をメインに撮影しております。
撮影地を知ろう!(1)
安田瓦
 私の磐西への出撃の際には、咲花の宿か、安田のビジネスを
定宿にさせていただいておりましたが、 周辺には以前から気に
なる屋根瓦が有りました。
 しかしながら「C57とこの瓦とを一緒にした撮影場所」が見出さ
れずにいましたが、今年稲架掛けを撮影する機会にその場所が
見渡せ、また「豆ちゃん他ブログ界の著名な方」の写真を参考に
して、台風22号の影響の出始めた風雨の中ここに来てしまいま
した。
 やはり下記の画の中には「大きな屋根の緑色っぽい屋根」を
除きこの地域に根ざしたどっしりとした重厚感、色合いの「安田
瓦」を屋根葺きには使われておりました!。
 安田瓦は天保年間(1830)から生産され始めた瓦と云い伝え
られているそうです。 それが明治に入って国内各地の師団増
設、兵舎の増改築が高まり、弘前、旭川師団や新発田兵営の
屋根工事を請け負うなど、大量注文を機に焼成の気運が高ま
り、安田瓦の真価が広く各地に認められ、官庁・学校等の公共
物の需要によって栄えてきたそうです。また品質、強度、耐寒
性にも優れ、味わい深い鉄色の瓦は一般住宅・神社・仏閣の
屋根を飾るに相応しく、県内外の名刹に多く用いられてきました。
近年では県知事公舎など由緒ある建物の屋根を彩っています。
(安田瓦協同組合のHP抜粋)。

<br
"安田瓦(緑色の寺を除く)"
※安田瓦協同組合に確認済み
2017.10.29
EOS-1D X Mark II EF70-200mm F2.8L IS II USM


相も変わらずこのワンパターンの拙いブログにお越し戴き
感謝に耐えません。今後共のんびり更新宜しくお願いいた
します。

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昭和の時代(5)
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"輪島名物朝市"
まだ「手の込んだミニぞうり」も売っているのだろうか?   


<br
"七尾線・C56(ナンバー・場所不詳)"
昔はこのような木で掛けられた土橋が沢山
有りましたね。…しかし昔から下手くそな画
ばかり生産していたものです(恥)。
カメラだけは6×6版のゼンザブロニカでし
た(^^;)。

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昭和の時代(4)
<br
"能登半島(場所不詳)のお婆ちゃん"
刈った稲を天日で干すこの地方では
「はさ干し」と謂うそうです。


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"能登中島~西岸"
赤ナンバーのC56124?


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突然ですが出撃しちゃいました!
「快速ELみなかみ」
返しも撮っちゃいました♪。

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EF64 1053+EF64 1051牽引 
2017.10.21撮影


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突然ですが出撃しちゃいました!
「快速ELみなかみ」を撮っちゃいました。
たまたま叔母がみなかみ町の老人ホームに入ったので
どちらを次いでにしたかは謎として、EL重連をお手軽の
この場所で撮っちゃいました(笑)。大型台風の影響か?
山には霧が発生して良い感じでした♪。
<br
"ベイシア裏"
EF64 1053+EF64 1051牽引 2017.10.21撮影



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昭和の時代(3)
ラッパズボンC56
日本では「ラッパズボン」や「パンタロン」と呼ばれていたことも あるベルボトム!。
1960年代以降、アメリカのヒッピー文化の代表的なファッションスタイルの一つとして定着し
日本では昭和の後半(SLが後数年で全廃と謂われていた時代)脚の筒の形が、腰から膝
までは身体にフィット?し、膝から裾に向かって広がっていたズボンでした。
今、日本では死語になったそうです(特にラッパズボンは(^Д^))。

<br
"晩秋の曽々木海岸にて(盗撮?!)"
昭和49年10月(1969.10)撮影


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"七尾線(撮影場所不詳)"
昭和49年10月(1969.10)撮影
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昭和の時代(2)
 冬の名物「能登の牡蠣」。
  S社の缶コーヒーのCMの舞台となった能登中島駅。
さらに、沿線は昔から「日本海側最大の牡蠣」と言われる
日本海側最大の牡蠣の産地。牡蠣棚のある七尾西湾は、
穏やかな内海で、養殖に好適とされていました。
 その七尾湾に沿って七尾線にはC56号機が走っておりま
した。雪は無いがあまりにも風の強い寒い日「寒さよけに、
とある物置に入る」と、そこにはオバさん方が牡蠣の殻を一
生懸命剥いている姿が有りました。因みにお土産として木
枠の中にはびっしりと牡蠣を入れて貰い帰宅しました♪。

<br
"能登中島の牡蠣作業場にて"
昭和48年2月(1973.2)撮影
ニコンF NIKKOR-H Auto 50mm F2


<br
"七尾線・能登中島周辺(C56159牽引)"
昭和48年2月(1973.2)撮影
その年、「急客おくのと号お別れ運転」(C58140+C56159にて
金沢-七尾間)を牽引。
ゼンザブロニカS2 ニッコールPC75mmF2.8


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昭和の時代(1)
峠の駅にも多くの人々がおりました。
 昨年JR北海道が公表した「当社単独では維持することが困難な線区」の
中で、国策で開拓により人々が済み始め、宗谷本線「名寄~稚内」は、100
年を経過した老朽化した構造物が多く存在し、維持管理に苦慮している他、
集中豪雨による災害が頻繁に発生する線区でもあり特に、輸送密度も500
人未満とご利用が少ない線区だそうです(言ってしまえば札幌近郊を除くと
全てとなってきます)。またJR貨物も走っておらず収益は益々減るばかり。
 しかし「写真とはよく言ったもので昭和の写真には」こんなに子供達も大勢
いた証が写真による証明ですね。…近頃直近の写真ばかりを載せていた関
係でお前だけは昔の写真だけを貼れ~!と苦情メール(笑)が多くなったの
で、在庫も少ないお蔵から出して来ました♪。 

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"塩狩駅にて"
昭和48年1月4日撮影

もうこれ以上は無理!
中途半端!
大型台風の影響から撮る場所のあてがないので
行き成り追っ掛けもせずに五十川駅まで来ちゃい
ました。しかしながら五十母川橋梁のお立ち台は
苦手なのでご遠慮するとして、五十母川でまだ冷
たくないと思い、入水?。
 バリアングル液晶モニター付のカメラは保有して
はおらず、アングルファインダーは自宅に置いてき
たがこれから先の時期水に入るのも難儀と思い、
カメラを水面ギリギリにして待っておりましたが、
強風の影響から大分遅延してC57は鉄橋を通過し
て行きました。毎度の中途半端なアングル(恥)。

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"五十島~三川にて" 2017.09.17撮影
EOS 5D Mark IV EF16-35mm F4L IS USM


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豊穣の秋(4)
地元農家さん以外立入禁止エリア!
単に豊穣の秋(1)の前バージョンですm(__)m。
同化しちゃいました(恥)。

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"山都~荻野にて" 2017.10.01撮影
Canon EOS-1D X Mark II EF16-35mm F4L IS USM


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