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kishaisan

Author:kishaisan
小学校時代から線路端でSL写真を撮っておりました。
C62が特に大好きです。近頃はこのFC2のブロガーさん方のお陰で「風景に溶け込むSL写真」を勉強させていただいてます。

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汽車遺産
蒸気機関車をメインに撮影しております。
北海道に炭鉱があった頃
夕暮れ時の常盤台行き
 美唄駅を16時45分に出る列車には確か多くの学生が乗っていたと
思います。ゆっくりした走りで10.6km先の終点・常盤台駅には17時31
分到着でした。この日は珍しく回送含めなのか?重連運転でした。
 美唄鉄道は美唄炭鉱の閉山で昭和47年に廃止されましたが、1日
6往復の貨客列車と並行して走っていた美鉄バスとしてその後も長く
運行していましたが現在は美唄市民バスに変わったそうです。
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"三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)
美唄駅構内より"
※今では逮捕されるかもしれません((^_^;))。

相も変わらずこのワンパターンの拙いブログにお越し
戴き感謝に耐えません。今後共のんびり更新宜しくお
願いいたします。

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北海道に炭鉱があった頃
三菱大夕張鉄道「No.5蒸気機関車」
 三菱大夕張鉄道は、国鉄夕張線の清水沢から、三菱鉱業大夕張鉄道が出て
おりました。清水沢から南大夕張までは7.6kmの短い路線を1日3往復片道60円
で走っておりました。 
 清水沢へ15:35に到着した列車は、帰り(大夕張行き)の列車No.5号機が機
回したり入換作業中でした。No.5号機は、元国鉄の9600形39695号機だそうで
残念ながらNo.3、No.4号機がC56形のテンダーを組み合わせた独特の形態で
したが撮影したかどうか?フィルムがまだ見つかりません((^_^;))。

<br
"清水沢のNo.5" 昭和46年(1971.2)撮影

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北海道に炭鉱があった頃
Eタンク!
 4号(4110形)+6号(9600形)が常盤台駅迄のわずか10.6kmへ向かう重連
貨物列車が夕陽を浴びて美唄駅を出発するシーンを撮っておりました♪。
「0ーEー0」という5軸の動輪を持つ4100形は無骨ながら見ごたえが有り
ました。
 この4号機は、美唄鉄道が発注した国鉄4110形の同型機3兄弟の末っ
子で、昭和元年製造、昭和47年の廃線まで活躍しておりました。
      <br
      "三菱鉱山美唄鉄道「4号機」"
      昭和42年2月撮影

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北海道に炭鉱があった頃
美唄鉄道で活躍していた機関車達
「廃車された4137号機」
      <br
    "廃車になった4137号機・三菱鉱業美唄鉄道 転車台にて"

 美唄鉄道は4110型を三菱造船所に発注し、2・3・4号機が生まれましたが、
この4137号機は国鉄で余剰になった4122・4142・4144号機と共に譲り?
受けたそうです。
 大きな馬力を出すには広い火床が必要となり、小型の機関車なので動輪より
上に火床を乗せて、従輪がなくしかも狭軌のために止むを得ずですが、その為
重心が高くなり、その対策として水タンクを取り付けた特異なフォルムになった
そうです。  .
小粒ながら大出力でその性能は大いに発揮したものの、スピードが遅いなどに
より他に転籍しても能力が発揮できず、次々と廃車になりましたが国鉄では見れ
なくなった特異なフォルムを見に美唄に行ったのだと私は思います(笑)。       .


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北海道に炭鉱があった頃
美唄鉄道で活躍していた機関車達
 北海道に沢山あった石炭搬出用の運炭鉄道の一つが三菱鉱業美唄鉄道(以下美唄鉄道)でした。
国鉄の美唄駅には私鉄が2つ有り、もう1つは美唄運輸でした。美唄鉄道は国鉄美唄駅より.10.6km
先の常盤台を結ぶ運炭鉄道です。地元では美鉄の愛称で親しまれていました。
 昭和47年に炭坑(美唄鉱業所)が閉山となり、合わせて美唄鉄道(美唄~常盤台10.6km)も廃止となり
ました。
 この美唄鉄道を有名にしたのは、蒸気機関車4110形で、国鉄・奥羽本線板谷峠などの急勾配用に
製造されたE形のタンク機関車で、美唄鐵道が自社発注した同型機3両と、国鉄からの払い下げ4両を
合わせ、最盛期には7両が在籍(すっかり忘れていましたが)していたそうです。

      <br
  "4号機(昭和43年2月撮影)"
   この4号機は美唄鉄道が発注した国鉄4110形の
  同型機3兄弟の末っ子で、昭和元年製造、昭和47
  年の廃線まで活躍していました。


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